コラム

邵輝先生と行った「チベット医学の旅」

オリュトミスト 細川 明子
4月30日から5月6日まで、邵輝先生とともに、中国、チベットに行ってきました。
「チベット医学研究会」の名のもとに東京、大阪、岐阜、愛知などから約40名、大きな期待を胸に抱いて、4月30日に関西国際空港に集まりました。

ここで最初のハプニング!
フナクリでも講演された越智恵子先生が、天候不順のため、沖縄から飛行機が飛ばず、参加できないことが分かりました。 みんな越智先生が参加されることをとても楽しみにしいていた上、先生は今回の旅行の私たちの´団長`でもあったのです。
結局´団長`不在のまま、私たちは日本を出発しました。

この時、これがハプニング第一号であり、その後あれ程いろいろな事が起こることは思ってもみませんでした。

ハプニング続行
その日、上海に着いた私たちは、初体面であったお互いを紹介しあい、少しずつ´聖地チベット`へ向かう者同志の絆を深めていきました。

しかし2日目、飛行機が遅れ、次の地「成都」到着は深夜2時になってしまいました。
そして、朝6時半のラサ行便の為、ホテルでほとんど寝れず、ほぼ徹夜という、恐れていた高山病にぴったりのコンディションでチベットに到着しました。

すでに標高は富士山の頂上とほぼ同じ。酸素不足の為、ゆっくり歩いたり、動いたりしなくてはいけません。それでもぬけるように青い空と白い雲、そびえ立つ山々に私たちは興奮をかくしきれませんでした。

ラサのホテルに到着した頃から、高山病に苦しむ人が増えていき、頭痛や吐き気がみんなを襲いました。 邵先生や他の先生方もたくさん薬を持参したのですが、私たちのほとんどが必要としたので、みるみるうちになくなってしまったようです。

予想以上に高山病は苦しくつらいものでした。
それでもここまで来たのだから、と、ダライ・ラマの住んでいたポタラ官に行き、チベット医薬病院を見学し、そこの院長先生方と会見させて頂きました。

鉱物や薬草を用いたチベット医学の基礎は、チベット仏教であり、ここの人は貧しい者も、金持ちも病んでいる者も死に直面している者も、今、生きている人生をそのまま受け入れている、と教えてくださった院長先生の言葉はとても印象的でした。

それを裏付けるように、ラサの街の人々は、子供も大人も浅黒い顔に真っ白な歯を光らせながら、みんな本当に楽しそうに笑っているのでした。
これは田舎で会った人たちも同じで、まるでチベットの空に浮かぶ白い雲のようにさわやかな笑顔でした。

標高4.900mのヤムドゥ湖では雪が降りました。
そこでもここの´神さまの水`を汲み、大昔は海底にあったという石を拾い、壮大な自然を身体いっぱい感じました。 チッベト仏教総本山大昭寺では、生き仏様にお会いできたことも、すばらしい経験でした。

高山病に苦しみながらも、それぞれのチベットでの思い出と共に、帰路に着こうとしたのですが、またもや飛行機が予定通り飛ばないことが分かりました。さすが´聖地`。
なかなかすんなり入れなかったし、すんなり出させてはもらえないようです。

何時間も待ったあげく、飛行機が成都に向かったのはいいのですが、このままだと今日中に北京に到着できず、次の日の朝の大阪行きに間に合わないという問題が出てきました。
邵先生の、成都に着いても飛行機に居座り、北京まで行ってほしい、と主張しようというびっくりな計画を試みたのですが、結局そんな風にはうまくいかず、成都に一泊し、翌日北京に向かいました。

北京から大阪も、たまたま20名の団体のキャンセルがあったので帰ってこられたというような最後でした。
体調も飛行機も予定どおりにいかないことづくしだったけど、とにかくみんな帰って来れたから良かった、としみじみ思える旅行でした。

私にとってのチベット旅行
チベットはなかなか行けない土地です。
距離や、不安定な情勢問題というだけでなく、´聖地`としてのチベットは、それぞれの人にとっての行ける時、まだ行けない時があるそうです。
今回の旅行も参加したひとりひとり、色々な想いで行き、それぞれの経験と共に帰って来たと思います。

私にとってのチベット旅行は、すでに3月下旬頃から始まっていました。もしかしたら、もっと前から始まっていたのかもしれないけど、はっきり意識したのは3月下旬でした。

久しぶりにかぜで高熱を出し、これまで経験したことがないような汗がからだの中からだらだらとふき出し、2日~3日、ふとんの中はサウナのようでした。
その後、わけもなく落ちこみはじめ、どうしようもない不安と自信喪失感でいっぱいになってしまいました。
今、思い出しても、とてもつらい時でした。

しかし、4月下旬、そんな私の暗闇に突然光が射しこんだのです。ある日、いつものように冥想していると、「大丈夫、私はすべてを持っている」という想いが降ってきたのです。
どうしても、´降ってきた`としか表現できないのですが、その´降ってきた`想いにより、私のすべてが変化しました。

身体の中に安心感がひろがり、それまでの不安や、自信喪失感が何なのか、見えてきたのです。 チベットに行くまでは、この想いを確認するような出来事が、いくつか起こりました。

そしてチベット。
「すべてを持っている」と、安心してしまったのでたいして大きすぎる期待も持たずに出かけました。
チベットの空や山に、懐かしいという不思議な気持ちを感じながら、澄んだ水が流れる河を見ていると突然ぽろぽろと涙があふれてきた
すると、あたたかい声で、どこからともなくメッセージが聞こえてきました。

父なる天と母なる大地のまん中に宇宙を抱く私がいる
その宇宙は光にあふれ
大地を流れる大河のように おだやかで
大地にそびえる山のように堂々として
大地を包む空のようにさわやかだ。
私は その宇宙の光そのものだから、
恐れる必要は何もなく、
悲しむ必要は何もなく、
ただそれらしく輝けばいい

私は その光を
すべての人に送る喜びをただ受けとめればいい。
それは 責任であり、
それは勇気であるから、
ただ 受けとめればいい。

そうすれば 私はすべてを手に入れるだろう

聞きながら、これは私だけに言っているのではなく、すべての人々へのメッセージだと思いました。 チベット医薬病院の院長先生に「今、生きる人生を受け入れること」を教えられた時、よりそう思えました。

縁あって、今回私はチベットに行くことができました。行きたくても行けなかった方たちもいたと思います。
ささやかですが、おみやげとしてこのメッセージを送ります。そして、いつもあたたかい心づかいを参加者すべての人に降りそそいでいた邵輝先生に改めて、感謝の意を伝えたいと思います。