命の采配
  
~ 二つの死を分けたもの ~


                                    船戸 崇史
 


 最近、二つの死を体験した。個体死としては同じ。
 二つの死の間には共通点がある。それは、二つともが「良かれと選択した死に様」であったということ。
 しかし、あまりに私の心の残像は違う。
 一体何がこの二つを分けたのか?
 少々辛い内容になるが、ともにたどって欲しい。
  





【 1つめの死、Aさんの場合 】

 32歳。Aさん。今風のキレイな女性である。小学校3年生の子供と二人住まいの母子家庭だった。まだ若い。Aさんには彼がいた。彼との間で今まで2回の堕胎がある。
 彼は、妻子ある男性なのだ。彼は「今の妻と別れて結婚する」と言ったという。きっとその気持ちは彼の中で本当にあったのだろうが、関係性継続のための詭弁ともとれる。しかしお互い大人である。双方ともが「良かれ」と思っての合意の上での交際継続だったと思う。そのAさんに3回目の妊娠が告げられた。いよいよ彼女は彼に結婚を迫った。当然である。残された携帯メールの遣り取りから、Aさんは彼へ自殺もほのめかし強迫したと思われる。しかし、彼はまたしても堕胎を促す。その直後、Aさんは不幸な情報を知る。彼は本妻との間に、2人目のお子さんができたという情報であった。その後彼女は3回目の堕胎をする。そして、彼女は息子が塾でいない間に、自宅で自ら命を絶った。
 第1発見者はこの息子である。・・・何ということだろう。
 あまりに辛く痛ましい事件である。



【 自死は殺人? 】
 
  私がAさんと初めて会ったのもこの一回だけ、死体検案の時だけだった。
ただ「不倫は駄目」と言ってしまえばそれっきりだが、私の心は複雑な思いで充満した。Aさんはきっと「生きる希望を持って、良かれと思う選択」をし続けたに違いない。しか
し、それにも拘らず最終的に「死」を選択した・・しかし自死は自らへの殺人である。
 不倫も自死(殺人)も誰もがダメだと知っているし、誰もしたくはない。
 しかし、Aさんにすれば、分かっていても、そうせざるを得なかった。
とは言えまいか?・・
 しかし、誰がそれを咎(とが)められるであろうか?
 一体誰に責任があるのか?
 不倫相手の彼にだけ責任があるのか?
 Aさん自身はどうなのか?良かれと思った
選択なのに誰か幸せになったのだろうか?
 きっと、誰もが、親もメールを貰った友人も
自らに責任を問うだろう。

「あの時に、ああすれば・・                    
   あの時になぜ気がついてあげられなかった・・
     あの時に、なぜあんな事を言ってしまった・・」などなど・・。
                 後悔は尽きない。しかし、もうAさんはいない。
 この間も、事件性を確認するための検視(けんし)は警察の手で着々と進められていた。
 よく片付けられた部屋の片隅に置かれた写真パネルが、スライドショーとなってくるりくるりと巡っていた。どのスナップも、今となっては二度と撮れない息子さんとのツーショット。そのおふたりのにこやかな表情が、私にはあまりに寂しそうに見えた。



【 2つめの死、Bさんの場合 】

 50歳。Bさん。9年前右乳癌にて某市民病院で摘出術を受けた。その後、当院のNON病外来を受診された。病院では術後、抗がん剤とホルモン療法を勧められたが、生活(ライフスタイル)は以前のままで良いと言われた。本当にそれで良いのか?という相談だった。Bさんは、癌になった原因を「生きているのがつまらなかった。癌は私の逃避先」と話された。しかし、癌になって良かったこと(疾病(しっぺい)利得(りとく))を尋ねると、「楽しいことをしても良いと思えるようになった。色々な事に感謝できるようになった。」と申された。私は、「癌は今までの生き方への卒業証書。これからは、あなたの『良い』『楽しい』をバロメーターに選択されては如何か?」とお話した。 ・・・それから来院はない。
 病院の定期検診で、Bさんは骨転移を指摘されたと、2度目の受診をされたのが、初診から7年後であった。     
 病院での治療をお断りし、Bさんは山登り、気功、食事療法、呼吸法など取り入れて「良かれと思う選択」を継続するように指示した。
 大事な選択方法は、治るか治らないかではなく、治るために何を選ぶかであると伝えた。
 Bさんはその後再び来院されなくなった。   
 しかし、私はそれで良いと思っていた。大丈夫か?なんて思うのは、詰まるところ私の
思いでありBさんにとって大きなお世話でしかない。Bさんの人生の道行の中で、彼女が必要と思った時に来てくれれば、それで良いのである。



【 奇跡の復活 】

 この間、彼女が趣味を謳歌し楽しんでおられる事は風の便りに聞いていた。これで良い。
 そして*年6月、丁度9年目に体の節々が痛いと当院受診。骨転移の進展が考えられ、PET検査を勧めた。その結果、全身の骨に無数の転移が認められ、どこが折れても不思議ではない状態であった。早々痛み止め(モルヒネの一種)が開始された。しかし、8月には呼吸困難感あり。レントゲンで胸水が相当量溜まっていた。同日、胸水穿刺。痛み止めも増量された。とうとう通院困難となり8月8日在宅診療開始。その後も、徐々に呼吸困難悪化。痛み止めも増量され、8月20日に余命は日(にち)の単位(1週間はない)と判断し、家族にこの旨お伝えした。沢山の友人がやってきた。交友関係の多さが彼女の財産だと思った。その数日後、訪問診察時意識なし。同日モニター設置。酸素5Lで酸素分圧60台に低下。ご家族に「今日が山かと思われる」と話した。家族は、「もう一度でいいから、目を開いてくれ。もう一度でいいから声が聞きたい」と願いBさんの体を擦った。この一ヶ月での急激な変化(悪化)は家族がそう願うのも当然だと思った。
 しかしそんな願いは叶う筈がない。・・・通常は。
 しかしその後奇跡が起こった。・・・復活されたのだ。
 酸素分圧も上がり始め、血圧も維持された。意識も回復され、再度お話ができるまでに至った。何ということだろう。開業以来20年で800名近くの看取りをさせて頂いたが、こうした方は2人目である。
 
 Bさんは、復活後再度ジュースも飲まれるようになられ、会話もされるようになった。家族の夢が叶えられた瞬間だった。しかし、この状況も長くは続かないのではないか?と思うほどに全身状態は衰弱されていた。8月一杯は持たないだろう。
しかし、その予測も外れ8月を超えた。バイタルも安定したのでモニターも外された。そして何と9月も超えた。もはや、私は維持程度の少ない点滴を継続し、あとは天に任せた。
 Bさんはベットから起きることは出来なかったが、この間家族と一杯お話をした。
 しかし、その会話は、「死にたい」という厳しい内容が多かったという。
 10月1日。既に復活されて1ヶ月以上が過ぎた。しかし確実に命の砂時計は少なくなっていた。訪問時、Bさんは私の手を握り、射るような目で私を眺めた。行ったり来たりする意識の中で、この時はそこに確かに存在された。そしてBさんは私に真っ直ぐ言った。「死にたい・・」「・・なんで?」と聞かれた。私は言葉に詰まった。この状況でどう応えて良いのか?私は言った「・・そうだね。まだ順番が来ないのかな?・・でも、来るよ・・きっと・・もうすぐ・・」としか言えなかった。
 




【 引導 】

 人は、ひょっとして、「死ぬ恐怖」より「死ねない恐怖」の方が大きいかもしれない。
 そして1週間がすぎた。
 10月8日訪問した際にはカヘキシー(癌悪液質(がんあくえきしつ))はかなり進み、意識は昏迷(こんめい)状態。
 Bさんはこちら(この世)にはあまりおいでにならない雰囲気を感じた。
 1日前には、亡くなられた親が来ていると話されたという。私はお迎えだと思った。やっと逝ける。私は思った。既に、意識障害のため呼びかけに反応はないと聞いていたが、お名前を呼ぶと頷き少し目を開けられた。
 私は伝えた。「・・・ご苦労さま。・・・よく頑張ったね。・・もういいよ。楽になろう。・・・何も心配はいらない。・・・肩の力を抜いてゆっくり呼吸してごらん。・・そう、傍にいる人についてゆけばいい・・。」
 
 そして、「・・それと、ひとつお願いがあります。・・ご主人と娘さんの事。これからもそちらから見守ってくださいね。・・そして、お二人がそちらへ還(かえ)られる時には、必ずお迎えに来てくださいね。」とお願いした。
 私は、最期に「・・ありがとうね。・・本当にご苦労さまでした・・」とお伝えし、心の中で「さようなら」と伝えた。・・・・こうして私は引導を渡した。
       翌日10月9日午後2時。永眠。
 奇跡の復活を遂げたBさんもこうして逝かれた。



【 2つの死を分けたもの、自然死と自死 】

Bさんも決して自分の人生を肯定していたわけではない。癌が発覚した時に、その原因を「生きることがつまらない。癌を逃避先にした。」と言われた。こうした人の癌は治りにくい。理由は簡単である。癌が治れば、つまらない人生に戻らなくてはならないからである。
 
 しかしBさんは、楽しい人生、 したい人生を始めた。料理や山登り、英会話もそうである。事態は再発転移という厳しい試練をBさんに与えた。
 しかし、彼女は「楽しい」をバロメーターに新しい自分の人生を再構築した。これほどの全身転移がある中で、ここまでご存命できたのは、つまらない人生から楽しい人生へと転換されたからではないか?
 AさんもBさんも「良かれと思った選択をし続けた」そして最期は「永眠」された。
 2つの個体死という表現はあまりに無機質であるが、残る心象は大きく違う。このギャップ。これが自然死と自死のギャップである。
 自然死とは「生きて生きて、生ききる」ことを言う。
 自死は「生きて生きて、自ら死ぬ」ことを言う。
 きっと、Bさんも、どの段階でも、最期に自死を選べば、何もAさんと変わらないのではないか?



【 人間の采配と天の采配 】

 私は、この2つの死から人間の手で采配して良い領域と采配してはならない領域がある事を学んだ。人間に与えられている権能は、「如何に生きるか」だけであり、「いつ死ぬか」は天の領域なのである。人は、生きるも死ぬも触れ得る範囲にある。しかし、死ぬ時期を触ってはならない。他人であろうが自分であろうが、誰が触ろうが「死」を操作する場合そこに意図が働く。その意図が遺された者を苦しませる。
 人間はそもそも「ともに生きよう」とする存在だと思う。「死なせてはならない」という願いを抱いている。きっと、どこかで「死別」の苦しみ、悲しみを知り切っているのだと思う。「死」によって、遺された誰もが苦しみ、誰もが幸せになれないからである。ひょっとしたら、やはり人間は目に見えずとも、お互いが繋がりあっている存在なのかもしれない。
 しかし、同時に人はいずれ死ぬことも誰もが知っている。
 死にたくない。しかし、死ななければならない。これが人間の情であり宿命でもある。
 だから、問題は「いつ死ぬか?」である・・・が、人間は采配できない。
 ここが天の采配であると思う。遺伝子と同じく、天の領域だと思う。



【 祈り 】

 では、人間にできることはないのか?
 ・・ある。・・・それが「祈り」である。
 祈りには力があるという。(スピンドリフトの祈りの法則=①祈りは実現する②苦しい時ほど祈りに効果はある③祈りの量は祈りの効果と比例する④対象を明確にしたほうが祈りの効果は大きい⑤祈りの対象が増えても祈りの効果は減らない⑥祈りの経験の長い人ほど祈りの効果も大きい⑦無指示的祈りの方が指示的祈りよりも効果が大きい・・)
 私から皆さんにお願いがある。
 ぜひこの2つの魂にお祈りを捧げていただきたい。
 Aさんは、ひょっとして、未だに「なぜこんな目にあうのか?」と人を恨み、苦しい思いをされているかもしれない。祈りはイメージするだけで届くという。
 ぜひAさんを、そしてAさんの息子さんを明るい光で満たして包んで差し上げて欲しい。それだけで良い。あとは、本人達の仕事である。
 そしてBさん。最期まで諦めず、生きて生きて生き還って、そして生き切った魂。「諦めない」事の重要性を教えてくれた。しかし同時に人は、奇跡が起こり復活しても、やはり死ぬ存在であると教えてもくれた。
 人間として生まれくる大きな目的の一つが「死」を体験する事だという。
 彼女は2度も体験した。私たちは愛すれば故に臨終に際し、「もう一度だけでいい・・目を開けて欲しい。話して欲しい」と願う。多くは叶わない。しかし、極めて稀に叶うこともある。何か必然があったに違いない。
 今では、それが何かは判らないが、これからの未来にその理由が炙り出されるだろう。
 しかし、願いが叶えられても、いずれ訪れる宿命は変えられない。



【 人は自らのためのみに生くるにあらず 】

 良かれと思って選択した人生。生きて生きてそして亡くなられたこのお二人の生き様。
 一体何が違うのか?
 それは遺された者への影響。遺された者へのメッセージ。そこに愛があるか否か?
 あなたは、自分の命は自分のものだと思っているかもしれない。しかし、それは間違いである。あなたの命は、あなただけのものではない。あなたを遥かにはみ出して、周囲(空間)と未来(時間)に影響を及ぼしている。
  「あなた(の生き様)を生きようとする」存在があると言う事。
 繰り返しになるが、大事なことは私たち人間が持つ采配は「生き方だけ」。「死に方」は天の采配であるという事。「死」は触れ得るものだが、触れてはならない。委(ゆだ)ねるもの。そう天に任(まか)せるのだ。
 しかし、あまりに辛く、「死」を触れたくなったら、祈ろう。祈りとは委ねる心を強めてくれる。そして祈りは必ず実現するのだから。
そもそも、あなたの人生の出来事に、あなたに乗り越えられない試練などないのだから。信じて生きて欲しい。
 お二人の魂に心よりご冥福をお祈りしたい。
  ありがとう。そして、また逢おう。

 

 「何も死に急ぐことはない。全ては予定通りである。ただ、あなたの思い通りではないだけなのだ。信じ任せて生きよう。祈りと共に。後は時が解決してくれる。心配はいらない、誰もが、生まれ、生き、老い、死ぬのだから。しかし、だれもが、死ぬために生きているのではない。心を静め、垢を落し、本当で本来のありのままの自分に還って采配を振ってほしい。きっとそれができる魂だからこそ、あなたは天から命の采配を贈られたのだから。」