コラム
*今回は、当院の循環器内科の中川医師に執筆を依頼いたしました。さすが、循環器の医師は、見方が違い私は大変興味深く読ませて頂きました。そして、今回初めて気が付いた事があります。それは・・・・
皆さんは、がんと言うと何色をイメージされますか?また、心臓と言うと何色でしょう?中には「同じ色だよ」と言う人も見えるかもしれませんが、私は全く違いますね。がんは黒っぽいし、心臓は赤っぽい色ですね。という事は、私が今まで連綿と書き続けてきた通信は、黒っぽい傾向だったんですよ・・・きっと。しかし、今回初めて他色種がお目見えしました。さて、それを皆さんはショックと感じるかどうか?間違いない事は、今までの色とは全然違うと言う事。きっとそれは皆さんにとって新しい発見につながると期待しています。 さて、では始めましょうか。・・・ 新しい「心臓」の世界の体験です。



「心臓」

船戸クリニック 循環器内科医師 中川 順市

今回は“心臓”について、私が時々感じることを書いてみたいと思います。

ここに書かれていることには、あくまで私の主観というものが随分含まれるところもありますので悪しからずお許しくださいね。

<私の思う心臓の特徴>

心臓は、その拍動を感じる場所から、しばしば“胸の左側”にあると言われますが、実際には“胸のほぼ中央から左寄り”に鎮座しています。左右を肺で包まれ、前面は胸骨、後ろは背骨、周囲は肺ごと肋骨で守られています。

そして心臓は、一日に10万回以上も自らの力で拍動し、持ち主である私たちの意志とは関係なく動き続けています。

当たり前のことですが、休んだりする事はできません。また私たちの意志でも休ませることはできません(そんなことができたら簡単に死ねてしまいますものね。そんなことは許されませんよ)。

また、たとえ心臓だけを取り出し、体や脳と切り離された状態にしても、血液に似た成分の栄養液を、心臓自身を栄養する“冠動脈”という血管に送り込んでさえやれば何時間も動き続けることができる結構な強者なのです。

心臓は、私たちが母親の身体から“おぎゃあ”と生まれる前からすでに動いており、そして、生まれた後も、まさに文字通り一生・懸命に動くことにより、血液を全身の臓器に送り続ける、いわゆるポンプの役割をしてくれています。
そして、他の臓器のためには自ら直径約3~4cm(センチ)の太い血管を用意し、収縮と拡張(伸び縮み)を繰り返して、毎分5リットルの血液を送り出しますが、自分自身にはたった直径3~4mm(ミリ)の太さの血管(冠動脈)3本で栄養しているだけなのです。

そのような状況で、他の臓器、そして私たちのために一生動き続けてくれているのです。なんという崇高な利他心の持ち主なのでしょう。

<心臓の個性>

心臓の検査の一つに“心エコー”とよばれる心臓の超音波検査があります。これによって心臓が動いているのをリアルタイムで(今、その時で)みることができるのですが、動きだけでなく形や質、動き方の癖までみることが可能です。

私がこの検査を施行しながら、心臓をみて時々思うことは、まるでその患者様の中に、もう一つ別の生き物がいて動いているかのように思えるということです。そして人間各々に個性があるように、心臓にも、明らかな“異常”とは異なるレベルの違い、即ち“個性”があると感じることがあります。そして、時々、それは持ち主である患者様の外見や印象とは必ずしも一致しないことがあります。

多くの場合、身体の大きい方は心臓のサイズも大きく、身体の小さい方は心臓のサイズも小さいのですが、そうとは限らない場合もあり、また、例えば、気が小さそうにみえる方であっても心臓は大柄であったり、落ち着いていて気が大きそうに思える方であっても心臓は小柄(small heart)で小刻みに動いていることもあります。もちろん、その方そのままの印象の通りの心臓という場合も多いです。

検査中にちょっと不謹慎だと思われるかもしれませんが、検査の所見において、明らかな“異常”でなくこの“個性”の範囲での特徴がみられた場合、その患者様の人物像と心臓の形や動きを対比させ、そのギャップに、ついついほくそ笑んでしまうこともあります。 ただし、いくらご本人に度胸があり、ちょっとしたことでは動じないような患者様であっても、決して心臓に毛が生えているのが映ることはありませんが…(笑)。

<心臓と心>

人の本当の心の中や性格が、外見や、すこしお付き合いしただけの印象だけではわからないことがありますよね。

また、時々、自分自身でも、本当の自分の心の中や性格がよくわからない、とおっしゃる方もいらっしゃいますよね(私もそうだったりして…(笑))。

“心臓”には“心”という字がつくように、また昔から人は“心”を表現するとき胸に手をあてるように、ひょっとしたら、心エコーで今見ているこの心臓の形と動き方が、実はこの患者様の本当の心の中や性格を何らかの形で表しているのかもしれない・・・と、ちょっと、そんなとりとめもないことを思ったりすることもあります。

何か、このように書くと、この検査がまるで占いや性格判断に使えるように思えるかもしれませんが、決してそういうわけではありませんので誤解のないようにお願いしますね。 ただ、心臓はいわゆる“自律神経”の支配の大きい臓器であるので、この発想も決して荒唐無稽なものとして片付けられるものではないかもしれません…。さて、それはどういうことかなのかと申しますと…。

<心臓と自律神経>

皆さんは、この“自律神経”という言葉について、「よく聞くけれど、実はそれが何かよくわからない」とおっしゃるかもしれません。

自律神経というのは、簡単にいえば自分の意思とは関係なく、臓器の働きを調節してくれる神経のことです。そうです、最初に書いたように心臓は自分の意思で動かしたり、止めたりできませんよね。

心臓はこの自律神経によって支配をうけている臓器の代表格です。自律神経には“交感神経”と“副交感神経(迷走神経)の2種類があります。この交感神経と副交感神経は、支配している臓器によってどちらがどのように働くかは異なりますが、ともかく、多くの臓器をこの両方で二重に支配し、お互い相反する働きをします。

例えば、心臓において、交感神経は脈を速めたり、収縮力を強めたりします。副交感神経は脈をゆっくりにしたり、収縮力を弱めたりします。

心臓は、私たちが運動をすると交感神経が働いて自然に脈が速くなり、収縮力も強くなり運動に必要な血液を全身にめぐらせてくれます。また、私たちが休んだり、寝ているときなどは、副交感神経が働いて脈はゆっくりになり、収縮力も抑えられ節約モードにしてくれます。

車で言えばアクセルとブレーキのように相反する指令が、私たちの挙動に合わせて、脳から心臓にもたらされ、その動きが自動的に調節されるのです。

普段このようなシステムが、当たり前のように働いているため、私たちは自分の生活活動の中で、あまり心臓の動きというものを意識せずに済んでいます。

それでは、もし、このシステムが何らかの原因で破綻したらどうなるでしょう。これがいわゆる“自律神経失調症”とよばれるものですね。

そして、このシステムの破綻を来す大きな原因の一つに“ストレス”があるのです。
ストレスは往々にして自律神経の中の交感神経を興奮状態にします。

このような状況になると、心臓においては、身体はじっとしているのに勝手に心臓をどきどきさせられたりします。じっとしているのにいきなり胸がどきどきさせられると、普段は意識していなくても、“気づいて!”とばかりに無理やり心臓のことを意識させられます。そして腹痛ぐらいではなんとも思わない方も、自分の心臓がどうかなってしまうのではないかとすごく心配になることでしょう。

そうすると“これはいかん”ということで、今度はあわてて副交感(迷走)神経の方ががんばってそれにブレーキをかけようとします。

でもそのブレーキが急ブレーキとなり、効きすぎるとどうなるでしょう。例えば、身体は、立って起きているのに、急に、勝手に脈が遅く、血圧が低くなってしまい脳に行く血流が少なくなって、クラッとしたり、時には失神してしまうということもあります。これが俗に “血が下がる”とか“脳貧血”とか言われるものですね。

<心と性格とストレス>

今の時代、ストレスが人の心の状態と密接な関係があり、また自分の性格から招いてしまうストレスもある、ということは一般論となっていておそらく否定される方は少ないことでしょう。そしてストレスが自律神経のシステムに影響を与えることもわかっていただけたと思います。

ですから、先ほどの心エコーの検査のことに話を戻しますと、心臓は動いている臓器である分、じっとしている他の臓器に比べ、患者様の自律神経やストレスの状況がよく反映されている可能性があるということは言えると思います。その動きを直接みている心エコーなのですから、人の本来の性格や心の中とまではいかないまでも、その時のその方の心の状況やストレスを推し量ることは不可能ではないかもしれません。

ただ、心臓の状況から自律神経の状態やストレスの状況を判定する検査機械は、別に既に専用のものがちゃんと存在します。(ハートレーターという機械で、クリニックにもあります)。

これは、心エコーのように直接心臓を見るわけではありませんが、心臓の作り出す脈波や心拍と心拍の間の間隔の微妙な変動を測定することにより、自動的に日ごろの活動における目安として、今その人の自律神経の活動性、交感神経・副交感神経のバランス、肉体的・精神的ストレスの程度、ストレスへの対処能力を測定してくれます。

これらのことと、“心臓はストレスの状態が自律神経を介して一番症状として反映しやすい臓器の一つである”ということから、いうなれば、心臓は“自分の(ストレス、自律神経)状態を表す鏡、そしてそれに映るもう一人の自分”と言うこともできるかもしれません。

<“ストレス⇔病気”と心臓>

単にストレスというと心の問題や性格など精神的なものからくるものだけを想像しがちですが、それだけではありません。“ストレスが病気の原因になる”ということは、よく言われますが、病気や体調不良も“肉体的ストレス”としてさらに心や体に影響を与えます。

例えば、病気によってどこか痛いところがあったり、熱が出たりすれば、痛み刺激や免疫システムの稼働に伴い交感神経は亢進し、それによって心臓は過度に収縮し脈拍も上がります。もちろん病気になったという“精神的ストレス”もそれに拍車をかけることでしょう。

また脳やホルモンの病気などで直接自律神経に影響をあたえるものもあります。そして病気以外でも、例えば交感神経や迷走神経を刺激したり弱めたりする作用のある薬の服用中、あるいは効きすぎによって心臓はドキドキさせられていたり、ゆっくりにさせられていることもあります。

ですから、心エコー中に、“異常”とは言い切れないものの、その方とあまり似つかわしくない“個性”をその心臓に感じた時、ただほくそ笑むだけではなく、実はそれがその患者様の心や身体のサインなのではないか?というように、その患者様の心臓以外の背景にも考慮できればと思っています(もちろん心臓そのもののサインにも気を配ります)。特に、2回目の施行などで、その“個性”が以前のその方の心臓には見られなかったような場合には、注意を払うよう心がけています。

<心臓のためにできること>

以上から、心臓は、心や体の状態が自律神経を介してもっとも反映しやすい臓器のひとつと考えられ、言い換えれば身体や心のサイン、そして心臓そのもののサインを最もよく教えてくれる臓器かもしれません。

そして、今も、脳や精神、ひょっとしたら魂とも自律神経を介して連携し、私たちの知らない範囲で私たちのために活動しているのでしょう。それは死ぬまで続く一生涯保障です(あたりまえですね…)。

そして、こんながんばっている心臓だから、無理はさせたくないし、負担もかけないようにしてあげたいものですね。

では、このような心臓のために私たちは何をしてあげることができるでしょうか?

ストレスやそれに伴う自律神経の不調は、それを教えてくれている心臓自身をも直接蝕みます。またよく言われることですが、心臓の病気のなかで死亡率の高いものは我々の不摂生が原因となっていることが多いのです。

ストレスは、自分の意思ではなかなか回避できないので、何とか自分なりの工夫で解消する方向に努め(フナクリ通信2009年9・10月号の院長先生のコラム、「ストレス対処法」を参考にしてくださいね)、そして不摂生に関しては心臓に良くない物事をなるべく控えてあげる(例えば不規則な生活、タバコ、高カロリー、過量の塩分など…)即ち生活習慣の改善ということとなるのですが、その詳細はまたの機会に紹介させていただくとして…
今回の私のコラムを読んだことで、もし、自分の心臓のことを愛おしく思えるようになった方がいらっしゃれば、ときどき胸に手をあて、自分の心臓の脈動を感じてみてください。

そして、あたかも“自分の鏡”、“もう一人の自分”であるかのような心臓にたいして“よくはたらいてくれているね”と感謝の言葉をかけてあげてみてください。大事なその人(心臓=自分)がいったい何をしてほしいのか、その人のために自分は何をしたらよいのかを聞いてみてください。ひょっとしたら何か答えが返ってくるかもしれませんよ。

結局のところ、そうやって時々自分の心臓のこと(他の臓器も同様)を意識してあげることも、自らの健康につながるのではないかと思うのです。


<追記>

このコラムの原稿を読まれた院長先生から、「心臓には何故がんがない(極めて少ない)のか?というテーマで中川先生の見解を聞かせて欲しい」と言われました。なるほどがんが、ライフワークの一つである院長先生らしい質問だと思いましたが、即答はできませんでした。

なぜなら、「心臓が原発(発生の源)である悪性腫瘍が極めて稀な理由」としてよくある答えは、①心臓の筋肉細胞は非常に再生しにくいので、“組織が再生される中で発生する遺伝子異常”が原因の一つとなるがんは、非常に出来にくい。②心臓は他臓器に比べ高温になっている(一説によると40℃くらい)ので、高温に弱いがんは出来にくい。というものですが、おそらく院長先生はこのような学術的な回答のみを求めているわけではないのだろうと感じたからです。

そこで、院長先生が以前、通信のコラムに書いておられた「がんの本質」「がんの目的」をベースに考えた時、「心臓になぜ、がんがない(極めて少ない)のか」ではなく逆に、「では、もし心臓にがんがあったらどういうことになるか」という裏返しの発想をしてみました。

もし心臓にがんがあったら…細いけれど自らを動かすために隅々まで充分に行きわたるように作られている血管(冠動脈)とその血流によって、がんは心臓自身の中であっという間に広がると同時にすごいスピードで全身にも散布されるだろう。また、たとえ微小ながんであっても、それがちょっとでも冠動脈や刺激伝導系(脈を作りそれを伝える発電所と電線のようなもの)に入り込めば即心臓が止まって突然死となる確率が高くなる…。

こう考えると、もし「がんの目的」が単に“人間に死を迎えさせる”ということだけなら、心臓にがんを作るのが一番手っ取り早いはずです。しかし、院長先生が「がんの本質」で書かれていたように、もし「がんの目的」が別のところにあり、“生き方の転換をしなさいというメッセージ”だとしたら、がんが心臓に出来てしまってはあまりにも“転換”を促す期間が短すぎる、持ち主もそのメッセージに気づくチャンスもない。これではがんが頑張って出てくる意味がなくなり、がんが本当の目的を果たせないのではないかと思ったのです。

死のプロセスとして突然死を経験することは、これはこれでまた別の意味があると思うのですが、がん本来の役割ではないのかもしれない…。ですから「なぜ心臓にがんがないのか」の答えの一つとして、私の中では「がんの本質およびがん本来の目的に反することになるから」ということが浮かんだのです。

<蛇足>

私は、先に、心臓のことを“利他心のある臓器”と表現しました。

他者のために一生懸命何かをしてあげる場合、もしその裏に“自分がしてもらいたいから”“認められたいから”という思いがあった場合、これは利他心とは言わないようです。
利他心は見返りを求めずに他者のために尽くす無償の愛に喩えられます(無償の愛は金親先生がお好きな言葉です)。

ここからはあくまでも私のイメージですが、健常な心臓を見ていて感じることの一つに、彼は決して見返りを求めて他の臓器や私たちのために動いているのではないということがあります。彼は人という大きな存在の中で自主的に一生懸命動くことで自らも生かされ、そのことが結果として他の臓器や私たちの為になることを知っているように感じました。

そしてそこには“自分が動かねばならないとか、やらされているというような義務感や、やらされ感もないのだろうとも感じました。もし人であればそんな気持ちで一生働き続けた場合、どこかで破綻が来てしまうし、もし大いなる存在(例えば神様)がおられるとすれば、心臓を「人間の一生を支えるもの」としてそのように作られるはずがないとも思われたからです。

院長先生は過去のコラムの中で「ストレスとは自分の“当たり前”とのギャップ」と現されています。他者のために尽くすことは良いことですが、それに見返りを求め、さらに“返ってくるのが当たり前”と思っていると、それが返ってこなかった時、多大なストレスとなるでしょう。また過剰な“義務感”や“やらされ感”も心を疲れさせます。

そしてよく人間関係もストレスの大きな原因と言われます。「外側には求めない、しかし与えるという心」=利他心、これは私が健常な心臓を見ていて時々思い知らされることですが、そういう姿勢を参考にするとよりよい人間関係の構築(コミュニケーション)ができるのではないかと思えるのです(なかなか難しいですが)。実際、心臓は、「脳心腎連関」という用語もあるように他臓器とよい連携を持ちながら上手に生きています。

院長先生は過去のコラムで、(過剰な)義務感、やらされ感、人間関係、そしてストレスは、がんの精神的原因として挙げられています。そういう意味から考えると…先の院長先生の質問に対する私のもう一つの答えは「心臓には利他心があるから」となります。

「大いなる存在は、がんにはがんの役割を与え、心臓には利他心を与えた。
いずれも私たちの生きる為の鏡となるように」
…なんてちょっと考えすぎでしょうか…。

<蛇足2 院長より>

成程。凄い考察ですね

生きる原動力は、やはり車で言うエンジンであり、まさに心臓ですね。私自身は、消化器外科医でしたので、兎角がん話~死生観~生きがいとは?へと発展してしまいます。ふと気が付くと、「命の火が燃え尽きる時・・」の話しばかりなのですね。しかし、中川先生は、まさに生きる象徴である心臓の専門家。ですから、私にとっては「利他心」という表現はなかなか「がん」から読み取ることは出来ませんでした。まさに、周囲の栄養を横取りして、周囲の正常細胞を疲弊させ全身が衰弱させる事(悪液質)こそが、がんによる死因ですからね。まさにがんとは「利他心」不足症候群と言えますね。(以前通信で、「がん」とは「愛欠乏症候群」と書いた事がありましたね)

私自身も、がんの発生は順調であるとは思っていません。まさに、飯田先生の人生のシナリオから言えば、生まれ落ちるとともに忘れ去る人生の目的から、生き方が外れれば外れるほど(順調でない)、修正が必要であり、そのお知らせが「がん」であると思っています。がんとは、まさに貴方の予定した生き方から外れた時の最終的なアラーム、レッドカードなんですね。その意味では、予定通り行かない時に出現する様に予定されていたと言えば予定どおりかもしれませんが…汗。

まさに、その反対とも言える、利他心の塊が「心臓」であるという事は、確かに心臓にがんがない(極めて少ない)理由として、納得できますよね。

さすれば、やはりがんばかりやっている院長としては、皆さんにがん予防からの観点から重要ながんを治す(がんと共存する)ための提案をしたいと思います。

がんになりたくないなら、がんを治したいなら、「心臓のように生きてみる」という事ですよ。いやいや、毎日マラソンのように走り続けろと言っているんじゃないですね。心臓の心意気という意味です。もはやがんを持つ貴方。貴方はがんを治す努力をするのではなく、心臓になる努力をしてください。

どうする事が心臓のように生きる事なのか?既に貴方は知ってますよ。だから貴方の胸の中心に鎮座しているじゃないですか。よく胸に手を当てて、感じてみてくださいね。

中川先生、有難うございました。
今後とも広角の循環器医としてご活躍を期待いたします。