コラム

呪文の呪縛(パート1)

船戸崇史
癌には癌になる原因がある。癌が出てくる理由があるんですよ。それをまずよく検証しなくてはいけません。癌の根本治療は癌の原因を除くことであり、その為にはまず、癌の原因に気が付くことが大切です。
外来診療の経験から、癌の原因は、ストレスだと言われます。ではストレスとは何かを見たときに、常に常識や信念と現実とのギャップなんですね。通常、常識や信念は目に見えない思いであるのに対して現実は目に見えますから、ストレスは圧倒的に現実の方にリアリティーを感じますね。でも、考えてみてくださいね。現実をジャッジしているのが見えないあなたの心なんですよ。だからチェックすべきはあなたの心の状態、あなたの気が付きにくい常識や信念の方なんですね。
つまり、起こった現実自体がストレスなのではなく、その現実をどう捉えているかという、あなたの感じ方の方にストレスの大本があるという事なんですね。厳しい事態でもストレスと思わなければ笑顔が出るし、些細な出来事もストレスと感じれば胃に穴が開くのです。そして、このどう感じるかの主導権を握っているのが私たちの信念であり常識です。しかし、問題は常識や信念は通常「あたりまえ」であることが多いために気が付きにくいという傾向があります。ですから、私たちは生きてゆく中で知らず知らずのうちに、この同じ常識や信念ゆえの同じ呪文を唱え続け同じ行動を取り続けます。そしてその為に型にはまった結果が訪れ続けます。その繰り返される同じ結果に体が疲れはて、ある時ついに癌の出現を許すのです。

癌とは、あたかも呪文に呪縛された結果に過ぎないのです。

今回はその気がつきにくい心の中のささやかな呪文に、知らず知らずのうちに呪縛されていた女性の物語です。

ある女性の信念

ある日のNON病外来に来られた、肝臓癌を患った60代の女性です。

其の方はこう言われました。「私は菜食主義なんです。だから、肉は絶対に食べません。肉は体に良くないって言いますから。でも、問題はうちの主人は肉を食べるんですね。だから、本当は駄目だと思っているんですが、主人に肉料理はするんですね・・。その度に、私は本当に肉にたいして殺生して悪いことをしたと思うんですよ。ごめんねって。だから、何時も肉料理の時には、この罪は私がかぶれば良いからって思っているんですね。こんなこと全く病気とは関係ないと思うんですが・・・」

今日のNON病外来の患者さんから、「どうして、癌になったと思いますか?」と、お伺いした時にこう話し始められたのです。
続けて 「肉食は癌の原因って聞いたことがあります。だから、私は絶対に食べません。タバコも酒もやりません。全く菜食で、どうして私が癌になるのかって思っているんですよ。不思議なんですが、うちの主人は酒は飲むしタバコも吸う。肉も一杯食べますから、癌になるなら主人の方なのに・・って、思うんですが」

お話を聞きながら、私は、この女性は大きな間違いを2つしているのではないかと思いました。それが、彼女の癌の原因に思えたのです。

1つ目の呪文

まず一つめ。
それは、正しいか否かは別として、「肉食を癌の原因」と決めつけていることですね。確かに、癌にならないための養生と言うと、大方の食事療法はまず玄米菜食を謳います。まず肉類は厳禁ですね。でも私は思うんですね。食べる側だけではなく、食べられる側になってみたらどうでしょうか?そうです、あなたが食べられる肉だとしたらと言う意味ですね。あなたは、食べられる為に命を落としたんですよね。そのあなたが「癌の原因だ」と言われたら、どう思いますか?命まで落として、其の上「こんなもの!」って言われては立つ瀬がないですよね。勢い、食べる人間の栄養どころか、毒にすらなりたい気分じゃないですか?

それなら、大事なことは、食べ物が何であれまず感謝して頂くということじゃないでしょうか。其の動物は皆さんが生きるために命を落としたんですね。それなら、動物植物拘らず、生き物(の命)を頂く以上、まず唱えるべき呪文は「ありがとうございます。あなたのお命を頂戴いたします。あなたの命が私の血肉となります。あなたの命が無駄にならぬように努力いたします」ということじゃないでしょうか?

これは、岡山の民宿「わら」の船越さんも良く言われることです。「このおにぎりは添加物が一杯だから食べないとか言うけど、おにぎりのお米には何の罪もない。それをこちらの勝手な都合で良いとか悪いとか、これほど食べ物を冒涜するものはないでしょう・・勿論添加物が良いと言ってるんじゃない。大事な事は、まず感謝して頂くこと。そうです、お米の命を頂くんですから・・」

あの断食、少食療法でご高名な甲田先生は、少食が世界を救うと申されていますね。それは、「大食が病気の元」と言う意味以上に、大事なことは、「食べるとは他の生き物の殺生に他ならないのであって、少食とはむやみに殺さないこと。そこに慈悲と愛があり平和がある」と申されました。其の上で、こんなことまで申されています。「大食漢に世界の平和を謳う権利などない。大食漢とは、他の生き物を最も沢山殺生している張本人であり、どうしてそんな輩が「平和」などと言えるのか・・・」まさに身の引きしまる思いがしました。

この女性の呪文は勿論悪気などなにありません。しかし、だからこそ怖いと思いました。
いつも言っている心の中の言葉。
「肉は健康に悪いから・・」は一見、「フム」と納得しがちです。でも、其の言葉が信念となったときに、にも拘らず食べると言う行為の恐ろしさですね。本当に悪いと信じる思いが強ければ強いほど、また其の毒はご主人を大事に思う思いが強ければ強いほど、強力に発動すると考えて良いと思うのです。だから、彼女は呪文を変更する必要があると私は申しました。

肉料理をしながらも、唱える呪文は「ありがとう。あなたは愛する主人の血肉となって彼の命を支えてくれます。あなたの命を無駄にはしません。」と、唱える事じゃないでしょうか。最初はそう思わなくとも、そう言って見る。何回も何回も言っているうちに、呪文は本心へと転換して行く。嘘も百回言えば本当になるって言うじゃないですか。

2つ目の呪文

2つ目の呪文。それは、彼女が、「其の罪は私がかぶれば良い」と思っていることですね。つまり「身代わり」という事です。これは、本当に実現します。ですから気をつけてください。この身代わりの呪文は、私達は人情の中で容易に発動しやすい間違った信念だと思っています。一番良く耳にする身代わりの呪文。それは、先立つ子供への親の思いです。子供が小さければひとしおです。子供の病気を親が自分の寿命と引き換えに長生きして欲しいと取引をするのです。気持ちは分かりますが、この呪文は間違いです。言い過ぎかもしれませんが、親のエゴを押し付けている可能性もあるのです。なぜか、その理由を見てみましょう。

親の願いどおり、親の寿命をもし子供が貰って元気を回復し、それによって親が身代わりに亡くなったとします。子供の為に必死に祈った言葉です。親であるあなたは満足かもしれませんが、もしあなたが命を頂いた子供の立場なら、如何お感じでしょうか?幸せを感じますか?「自分の命と引き換えに親は早く死んだんだ」という思いは、「親を死なせたのは私だ」という罪悪感になりませんか?それなら、子供の為に自らの命を投げ出すのは、子供に罪悪感を植え付けている可能性があるのではないでしょうか?実際はそれ以上の愛を感じるのかもしれませんが、こうした罪悪感で苦しんでおられる方は日常診療の現場では思いの他多いものです。

この身代わりの法則は、実は日ごろの生活から身についてしまった、経済の法則がベースにあります。経済の法則とは自分から出た分、必ず減るという法則です。100円出せば100円減ると言う法則ですね。だから、人への依頼は其の分何らかの代償を伴うと言う信念があるのです。

しかし、私は日常の診療から、本当は別の法則が存在していると感じています。私はそれを「思いやりの法則」とか「愛の法則」と呼んでいます。愛の法則とは、人に愛を施せば施すほど自らの愛も大きくなると言う法則です。100円分の愛をあげたら自分の愛は200円分になると言う法則です。大切な人が病気になった時こそ、この愛の法則を執行する必要があります。実際この法則を執行した時の呪文はどうなるのでしょうか。それは、「あなたが元気になるために、私はもっと元気になります」ですね。「あなたが元気になる為に、私の元気をあげます」とは間逆ですよ。そうなんです。あなたの愛する人が病気のときに必要なことは、まずあなた自身が今一度自分の健康を見直し、今以上に健康になることなんでね。お互いが元気でいることがお互いが最も嬉しいからなんです。それが愛すると言うことじゃないでしょうか。


呪文の呪縛からの脱却

この女性は、肉を食べると言う罪の意識と、其の罪を自分が身代わりになるという2つの間違いをしていたと思うのです。そしてまさにこの呪文こそが彼女の癌の原因であると感じました。ですから、私は、今日から、呪文を変える様に提案しました。

まず、お肉へ感謝すること。それによって罪の意識はなくなりますから、身代わりの必要もなくなります。しかし、現在癌を患って、まさに元気が欲しい彼女としては、この愛の法則を上手く利用すれば良いのです。病身にあって、それにも拘らず彼女が家族の健康を祈って愛念を持って料理をするのです。其の愛念は必ず倍増して彼女自身へ返る事になりますね。自然治癒力は元気の中に宿ります。元気は生きがいや楽しみ、喜びの中に生じます。感謝のある愛念に包まれた生活に喜びや生きがいがあり、そこに自然治癒力が生じ、その結果、延命の流れや治癒の流れがありうるのではないでしょうか。元々、彼女は、知らないからこそ、より強い罪悪感と身代わりを引き受けてきた、生来が真面目で優しい女性なのです。

私は、この思い方一つで、彼女の運命は大きく変わることを信じ願います。

まさに、癌がこの女性に語りかけ、生き方を転換するように促しているケースと言えますね。

一度皆さんも、自分の呪文を振り返ってみませんか?呪文というより、心の中でいつも言っている言葉です。気が付かないほどに小さな声です。気が付かないほど今では当たり前です。気が付かないほど自然に発動し、違和感を感じません。誰の心にも存在する。それが呪文なのです。あなたの中で当たり前である時、それが呪文に呪縛された状態です。癌準備状態ですね。それに気が付くところから、実は本当のがん治療が始まるのかもしれませんよ。