コラム

オリンピックと癌(末期癌とのつき合い方)

船戸崇史

20世紀最後のシドニーオリンピックで、岐阜県出身の高橋尚子選手が、日本の女子陸上競技史上始めての、金メダルを獲得しました。まず持て「万歳!!心よりおめでとう!!」。

このレースの一部始終を見ていた私は、何とも偏屈なことに、「ああ、癌とのつき合い方に似てる!」と、思ってしまいました。これが、20世紀最後の時期であったことも、21世紀の医療の「先がけ」を見せていただいたようでした。
今回は、高橋選手に感謝を込めてマラソンと癌とがどういう関係なのかをかなりの独断ながら紹介させてくださいね。
「金」への勝負姿勢

今回のレースの展開から、私には、高橋選手と小出監督の姿勢が、余りに素晴らしい勝負姿勢に見えました。まさにこれこそが、末期癌とのつき合い方だと感じましたのでそれがどういうものかを私なりに考えてみたいと思います。

まず第1に高橋選手自身の資質です。マラソンに向いているという彼女自身のDNA ですね。それは、いわば高橋選手がマラソンを引き寄せいたとも言えるでしょう。
第2に、それを見いだした監督との巡り会いです。高橋選手は、監督とスクラムを組んで、マラソンで「金」を取るという「目的」を立てました。そして、考え抜かれた計画によって、厳しく辛いトレーニングが始まります。目的を実現するための小さな目標を立て実行し、試行錯誤と汗と涙と努力で夢は現実へと結晶化していったのです。大会終了後、髭を剃って、少々お酒が入った監督から、強化練習期間中、どの様な想いであったかが吐露されました。「私は、Qチャン(高橋選手のこと)が、大好きなのよ」。舌はやや回ってはいなかったですが、だからこそ吐露された本心だったと思います。「好き」という感情は、如何に繋がりを深めるのか、困難を克服するエネルギーへ繋がるかを教えてくれたと思っています。
そして第3に高橋選手の心がけです。彼女は「時代の変わり目に名前を刻みたい」と言う願いを持ちました。これは、惜しくも破れ銀メダルとなったルーマニアのシモン選手の「精神力の強いものだけが勝つ。それは私だ!」という言葉とは私には違って聞こえました。高橋選手も心のどこかで金を意識していたのでしょうが、明らかにシモン選手が「金」を意識していることに対して、私には高橋選手は「全力で当たる」「結果はついてくる」と言うような、勝敗を越えた、いわば「托信」の境地を感じました。実際、高橋選手は「風を切ってレースを楽しみたい」といい、「スタートラインに立てることが嬉しい」と言いました。その明るさに、周囲の選手はとまどったと言います。そして、何より終盤、苦しくなってきたときも浮かんでくる想いは、今まで自分を応援してくれた人の顔、顔、・・「その人達に『ありがとう』って、言いながら走るので孤独ではないんです。皆さんが背中を押してくれますから」という解説に私は大変驚きました。レースの終盤、36km付近から勝負に出た高橋選手にシモン選手はついて行くことが出来ませんでした。画面では見えませんでしたが、高橋選手の心には「ありがとう」が、背中には皆の気持ちが追い風となって背中を押してくれたのかも知れません。その後独走し「金」のゴールを得ると言う、快挙となったのです。ウイニングランをしている高橋選手の軽やかですがすがしい表情と深々と頭を下げながらの「ありがとう」が、本当に「戦ってきた」という感覚より「楽しんできた」と言う表現に近いように感じられました。実際、高橋選手は試合後、「42,195kmは早かった」と結んでいます。

如何でしょうか?

私には、この高橋選手のゴールドロードが、恰も末期癌で闘病し奇跡的に治癒してゆく道筋に重なって見えるのです。つまり、マラソンとは「癌」なんです。まさに高橋選手は、今、癌を患い「よし!治そう!」と、まず決意したあなた自身なんです。あなたを愛する家族や医療者は小出監督はじめサポーターですね。すると、高橋選手のレースはまさに闘病生活そのものと言うことになりますね。


癌との闘病姿勢

では、マラソンと癌とを置き換えて先の文面をなぞってみましょう。

第1に癌を引き受けたというあなたの資質です。現象界では、あなたに癌が突然襲ってきたかに見えますが、実際はあなたが「癌」に合う体質だったんですね。癌という大病を引き受けることが出来るという素晴らしく成長した魂と言えるんですね。癌に合う体質というのは、それほどのチャレンジャーなんですね。

第2にあなたを愛してくれる家族、医療者の存在です。人は一人で生まれ一人で死んで行きますが、一人で生きることは出来ません。心臓の細胞も1個だけでは、生きることは出来ても心臓本来の働きであるポンプ機能は不可能です。仲間(家族、医療者、サポーター全て)がいて始めて、意味在る機能が発揮できます。つまり、あなたを中心とする仲間は、全体として何らかの働きをするという目的(心臓のポンプ機能の様な)が、ある筈なんですね。その仲間と今一度しっかりとスクラムを組み直すこと。スクラムを組む元には「好き」「愛」があって、在る意味ではこれが戦略の要でもあります。要とはなぜか?それは、仲間の再結の為に「癌」が訪れることがあるからです。その場合は、仲間のスクラムが完成しただけで、癌が消えるということがあるようですね。

第3は、癌を背負って生きて行くレースを「楽しんで」いるか?ということです。息せき切って、苦しい、それこそ癌のような顔していませんか?実際は、闘病を楽しむとは、かなり残酷な表現ですが、あえて、高橋選手は「楽しみ」ました。きっと、その心の奥には、成長したいという魂願があったからではないでしょうか。でも実際はなかなか癌を楽しむ気持ちにはなれないですよね。そのところ、高橋選手のレースを、見習わせていただくと、高橋選手もレース終盤は身体はしんどかったと思うんですね。でも、頭には「金」(癌治癒)があったかというと、どうもそれだけではなかったようですね。私の憶測ですが、きっと「マラソンが走れるのは私一人の力ではない。お陰様で走らせてもらっている。…『ありがとう、ありがとう・・』だった。なら、現在癌と共にその人生を歩んでいるも

「私は独りぽっちではない。皆さんのお陰で、励まされ生かされている。大切なことは、今を精一杯生きること。癌を治そう(マラソンに勝とう)という想いとは別に、それには捕らわれず、寧ろ『お陰様』の感謝を忘れないで生きてゆこう…」と、考えることなのでしょうか。すると、高橋選手には結果として「金」が訪れました。これがきっと癌が消える瞬間なのでしょう。私は、必然が無くなったら、丁度、高橋選手がゴールのテープを切る如く、癌はひらひらと消えて行くと思っています。それが、たとえゴトゴトの末期癌であってたとしても。

かなり乱暴な喩えだったかも知れません。しかし、私には人生もマラソンなら、癌との闘病もまたマラソンの延長。決してマラソンの目的は癌になったからと言って変わるものではないと思っています。どうか、今闘病中の皆さん。それを楽しんで、是非「闘病」を「生きがい」へ変えてみようではありませんか。それが癌を引き受けたという勇気ある魂の証なのでしょうから。

なぜ癌が現れたのか?それは、あなたへの呼びかけ。それを引き受けられるほど勇気ある魂なんです。

癌が教えてくれたもの。それは、本当の托信、本当の愛、本当の感謝の実感と実践。それが、本当に生きる意味だから。

癌が消えるとき。托信・愛・感謝の境地に至ったときだと信じています。

癌が消えないとき。それは、あなたの魂が「癌」を極みまで味わい尽くしている。消えないことに意味があるためなんです。

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